美しい文字で繋がるアートの世界 日本カリグラフィーアート協会は、西洋書道「カリグラフィー」の技術や芸術性を広めることを目的とした団体です。初心者からプロフェッショナルまで、幅広い層を対象に、学びと交流の機会を提供しています。定期的に開催される講座やワークショップでは、伝統的な技法から現代的なデザインまで、多彩なスタイルを学ぶことができます。 また、協会では作品展やイベントを通じて、カリグラフィーの可能性を追求し、アートの新たな魅力を発信しています。カリグラフィーを通じて「表現の喜び」と「文化の交流」を体現し、多くの方々に小さな感動と温かな思いをお届けしています。 文字が紡ぐアートの世界にご興味がある方は、ぜひ私たちの活動にご参加ください! 定期的なカリグラフィーレッスンは、主に静岡県(浜松市・掛川市・島田市・焼津市・静岡市)にて開催しています。出張レッスン・制作も承ります。

☆人生煌めきの時

「友達から、こんなメールをもらいました。読みながら自分の中心軸はどうなんだろう?
と思わずにはいられませんでした。」

☆ニューヨークの、とある大学病院で、アメリカ人医師が体験した実話です。
☆ .。:*:゜'☆ .。:*:゜ 小児科病棟にナンシーという名の小さな女の子が
入院して来ました。ナンシーは三歳になっていたのですが、
身体が生後一歳半程度の大きさにしか成長していませんでした。
本来なら可愛い盛りなのに、まるでなにか…
“猿の干物”のような痛々しい姿です。

病院の医師たちは、“大きくならない原因”があるとみて、様々な検査をしましたが、
器質的な異常は見当たらず、病気でもありませんでした。あらゆる手段を講じましたが、
ナンシーは少しも成長しないばかりか、声を出す元気すらありません。

入院して三ヶ月経った頃、看護師の一人が主治医に、
「ナンシーの家族が一度も面会に来ていません」と告げました。
周りのスタッフたちも、ハッとしました。そしてすぐに両親に呼び出しを掛けました。

ところが、ナンシーの両親は一向に病院に現れませんでした。

主治医はとうとう堪り兼ね、ナンシーの両親に会いに行こうと決心しました。
入院時に書き込まれ、提出されていた書類で住所を探し、訪ねて行きました。

両親の住むアパートに着いて、インターホンを鳴らし、
「ナンシーの主治医で◇◇です」と名乗りました。
ナンシーの両親と見られる若い女性が出て来てドアを開けましたが、
「ちょっと待ってください」と言うなり、主治医の顔も見ずに、
すぐに奧に姿を消してしまいました。
主治医は居間に通されはしたものの、そのまま放っておかれました。
書斎では、ナンシーの両親であるらしい男性と女性が、パソコンの画面に向かって、
必死な形相で、論文か何かを打ち込んでいます。

かなりの時間が経ちました。

母親とおぼしき、その女性が、やっとキーボードを打つ手を止め、
医師の方にやって来ました。父親は、コンピューターの画面に向かったまま、
訪問者・医師の方に視線を向けようともせず、ただ画面の作業に没頭していました。

「あの子は必要なかった。子供はまだ欲しくなかったんです」
 母親は口を開くと、真っ先にこう言いました。
この両親は、聞けば世界的に有名なハーバード・ビジネス・スクールの
最終学年に在籍しているとの事。このスクールでは毎年多くの経営者を輩出し、
またその授業内容の厳しさでも有名でした。
「今書いている論文に、自分たちの将来が、明るい未来がかかっているんです。
だから必死で書いているんです」 母親はやつれきった表情で言いました。
「だから欲しくなかったんです。でも勉強が忙しくって堕ろせなかったんです。
あの子は、こんな忙しい時に生まれて来て、厄介な子なんです」
「兎に角、論文さえ済んだら面倒を見ますから」
そう言うと母親は、医師を追い立てるように、ドアに導きました。
その間、書斎で画面に向かっていた父親は、たった一度も、
医師の方を見ようとも、話を聞こうともしませんでした。
ナンシーの主治医は黙って病院に戻りました。
☆ .。:*:゜'☆ .。:*:゜'☆ .。:*:゜'☆ 次の日、
主治医はナンシーを陽あたりのいい、人の行き交う廊下に移しました。べッドごと!
そして、そのベッドを置いた廊下の壁に、大きな張り紙をしました。
『わたしはナンシーです。 あなたがここを通る時、もし急いでいるなら、
ナンシー!と呼んで、微笑みかけてください。
 もし、あなたに少し時間があるなら、ナンシーと呼びかけ、
わたしを抱き上げあやしてください。
 もし、あなたにゆっくりと時間があるなら、ナンシーと呼んで、
わたしと一緒に遊んでください。わたしを抱き上げ、頬ずりし、
あなたの胸や腕や、声のぬくもりを、わたしに伝えてください』

早速、ベッドの脇を通りかかる医師、看護師、患者さんたちが、
それを実行し始めました。ある人は通りすがりに名前を呼んで、
にっこりと微笑みかけ、ある人は立ち止まって頬ずりし、あやし、
愛情いっぱい注ぎました。ある人は抱き上げ、
自分の病室や庭のお散歩に連れ出しました。
誰もが時間をゆっくり取れても取れなくても、
優しい言葉で温かい心を伝えていきました。

そうして、三ヶ月が経った頃、ナンシーの体重は正常な三歳児にほぼ近づき、
可愛い笑顔を見せて笑い、言葉も急速に覚え始めました。☆ .。:*:゜'☆ .。:*:゜
自分の事で精一杯な両親でも、ナンシーに対して食べ物は与えていました。
しかし本当に人間を育てる「愛情」を与えていなかったのです。
病院の医師や看護師、入院患者、見舞い客たちは、
「人間が人間として成長するために、最も大切な不可欠なもの」があるという事を
ナンシーを通して思い知らされました。
 与えたはずの人たちが、逆にナンシーから、それを教えて貰っていた……、
いいえ、与えて貰っていたのです。最も大切なもの——を。☆ .。:*:゜'☆ .。:*:゜'☆ .
人が癒されるには辛い思いをします。
人生は、決していい事ばかりが起きる訳ではありません。
私たちは、幸せとは、なんにも苦しみがなくて、
何事も自分の思い通りになる事と思いがちではありますが……。
本当に全てが自分の思い通りに動いてくれたら、
どんなに楽で、いいでしょう。
しかしそんな事は万に一つも起こらず、
イヤな起きてほしくない出来事が起ります。

この世はいい事ばかりではありません。
辛い事も悲しい事も起きて、陰と陽のバランスが取れるように
なっているのではないでしょうか。
人生の辛い、悲しい事を通してはじめて、人の心に寄り添える人に
成長するのではないでしょうか。
人間の成長とは、「あなたが何かしてくれるなら、私もあなたを大切にしましょう」
という条件付きの関係から、人間の深いきずなに目覚め、
「あなたの痛みは私の痛みである。あなたは私である」という、
人間の連帯を体験しはじめ、条件付き愛情から、
無条件の愛情へと転化した時と言えましょう。
 心の中心軸が、自分中心から他人へ、他人を含む大きな世界へ
向かって方向転換をした時。これこそが「改心」という事であり「癒し」です。
そういう人たちを見ていると、見ている側の人もまた癒されてゆくのです。

 私は沢山の人々との出会い、特に死に逝く人たちとの交わりを通して、
癒しの恵みをいただきました。お一人お一人が、貴重な体験を
私に分かちあってくださる時、また聴いた事を、一人心の中で思い巡らす時、
私は生きている喜びと、至福の煌めきを体験したのでした。
それは幼いナンシーが、陽のあたる広い廊下で、
人々から愛をいっぱいに受けていた時と同じだと確信しています。

一人でも多くの方に、この命の煌めきを味わっていただけますように。

感謝を込めて
——作者 鈴木秀子——

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